茶室だより

孤篷庵遠州忌および茶会/大慈院墓参 2022年5月21日(土)22日(日)大徳寺大慈院/大徳寺孤篷庵[京都府京都市] 

過日、大徳寺孤篷庵にて、遠州忌および小堀遠州流十三代宗博百回忌法要を執り行いました。

孤篷庵に向かう道すがら

コロナ禍により 2020 年から 2 回延期された末の、満を持しての開催だったため、感慨もひとしお。
佐々木宗弌松籟会副会長による献炭の後、孤篷庵の小堀亮敬和尚様、大慈院の戸田惺山和尚様という当家に所縁あるお寺の両住職が御読経いただく中、真台子二つ天目点前にて濃茶を練り、遠州公と宗博の仏前にお供えして、御供養申し上げました。

遠州による延べ段

こうして今の我々がいるのはご先祖様のおかげ。若い頃にはあまり実感できなかったことですが、40を間近にしますと来し方行く末に思いが至り、自然と頭が下がります。

孤篷庵入口

法要後は小堀遠州流松籟会主催のお茶会が、忘筌と直入軒で行われました。 遠州公、そして当流十二代宗舟と十三代宗博の終の住処となった孤篷庵で、その息吹を感じながらのお茶会は、なんとも得難い貴重なひとときでした。
午後になり、忘筌の砂摺天井に露結の手水鉢から反射した西陽がゆらめき、刻々とわずかに動いていくさまはなんとも美しく、夢を見ているような心地がいたしました。

濃茶席の床飾り

遠州公のお墓の奥にある宗博と愛犬の墓前に手を合わせてから孤篷庵を後にしましたが、余韻嫋々として尽きず、立ち去り難かったです。

十三代宗博と愛犬の墓

前日は、大徳寺大慈院にて当家初代(茶道では遠州を初代として二代目)となる宗虎正行の墓参に伺いました。

遠州と4歳離れた同腹の弟正行は、兄とともに大阪冬の陣に出陣するも、翌年元和元年八月十四日に、33歳という若さで遠州の京都三条屋敷にて病没。遠州により、大徳寺内碧玉庵に葬られました。
明治維新後の上知令により碧玉庵が廃寺になった後は親院の大慈院に移され、碧玉 庵を創建した立花宗茂公と隣り合わせで眠っています。

大徳寺金毛閣から大慈院へ

ちなみに碧玉庵があったのは現在の紫野高校グラウンドの部分。三色紙の一つ「寸松庵色紙」で有名な寸松庵とお隣だったとか(三千坪あったという寸松庵は今や跡形もなく、住宅地になっています)。

国際日本文化研究センター所蔵「都林泉名勝図会」より

和尚様に読経いただき、正行のお墓に初めてお焼香と家元嗣襲名の報告をすることができました。松籟会の方が墓前に濃茶をお供えしてくださったのも、ありがたいことでした。

その後は、本堂で和尚様がコミュニケーションと茶の湯に関する御法話をしてくださいました。笑いあり、考えさせられることあり、大変示唆に富むお話で、興味深く拝聴しました。昔大徳寺の和尚様方は大変仲がよかったようで、食事に誘ったり誘われたりという交流が盛んであったようです。コロナ禍で久しくなっていましたが、一宿一飯ならぬ一碗一飯のご縁を大切にしなければ、とお話を聞いて反省。草が伸びてしまう前に、またお墓参りに訪れたいです。

最後になりましたが、ご多忙中ご臨席いただきました皆様、また開催に向けてご尽力いただきました皆様に、厚く御礼申し上げます。

家元嗣 小堀宗峯