流派について
小堀遠州流について
現在遠州流に二派あります。当家は流祖遠州の弟、正行(宗虎)の系統になりますが、七代からは遠州の直系となって今日に至り、正しい遠州の伝統を伝えております。
当代は正行より十五世なれども、政一より数えて十六世と称す。因みに本家六代政方、当家九代政徳までの系譜は、政徳の呈譜による「寛政重修諸家譜」にくわし。なお、たとえ当家の政郷の嫡子が夭折したとて、本家五代政峰の後を継ぐべき嫡子、政報(宗忠)―次男―、政展(宗信)―五男―が、何故当家へ養子に来たかは不明である。また、菩提寺法身寺(市谷柳町)の建立は、三代宗舟が、讃岐国櫓奉行を勤めし功による三百石の加増を拝辞し、その代償として望む所であると古事録に見え、同所に遠州の父正次(宗玄)、当家の祖正行(宗虎)の墓も建つ。
家紋「花輪違い」「丸に卍字」(蔭紋)家伝に曰、元「扇に鶴の丸」を家紋とし、正次の時「丸に卍字」に改め、政一の時より「花輪違い」を用う。
当家は小堀新助正次の次男、遠江守政一の同腹の弟治左衛門正行の裔であるが、正行の系統は絶え、六代からは、遠州直系本家五代、和泉守政峰(宗香)の系統となって、当代に至っている。今より約二百五十年前のことである。先祖正行は短命だった為、兄政一の如くその名は世に知られないが、徳川家康に仕え、三千石を賜り、出陣の際は必ず御先乗を承った由、慶長十九年、大阪冬の陣に加わり、翌元和元年八月十四日、惜しくも京都の兄政一の官邸にて病没した。正行に兄より茶道の教えを受け、その奥義に道し、明治以降は十二代より宗舟政休、宗博、宗忠、宗通と相伝して今日に至る。
小堀宗通著『小堀遠州の茶道』(浪速社)より一部抜粋して編集
松籟会とは
小堀遠州流松籟会は、小堀遠州流の茶道を学ぶ者の同門会で、家元の活動を後援し、会員の流儀に対する理解を深め、会員同士の親睦を図り、流儀の普及を目的としています。主な活動は、お家元主催の茶会等の行事の後援、流儀の理解を深めるための講習会・研修会の実施、会員相互の親睦を深めるための会報の発行、来訪者をもてなし、流儀を広く知ってもらうための毎年春に開かれる流祖を偲ぶ遠州忌茶会(東京・護国寺)、香取神宮(千葉)、鹿島神宮(茨城)での家元献茶式に合わせた呈茶などです。 松籟会は、現在都道府県単位を基本に12支部があり、会員はいずれかの支部に属し、お稽古を通じ流儀の茶道を習得することになります。各支部は、遠州忌で席を持つほか、支部独自の茶会や勉強会を開いたり、各地域の市民茶会などに参加しています。 入会ご希望の方はお問い合わせください。お問い合わせはこちら