歴代家元

  • 流祖政一(遠州)1579–1647

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  • 二世正行(宗虎)1583–1615

    初め治左衛門、小堀新助正次の次男、母は兄と同じく磯野丹波守員正の女(むすめ)。禄高三千石、以下政休まで同じ。父正次と共に召されて家康公に仕う。大阪冬の陣に政一(遠州)と共に出陣し、松倉豊後守重正に属して大和勢に加わる。元和元年八月十四日、政一の京都官邸にて没。年三十三歳。京都紫野大徳寺中碧玉庵へ葬る。

  • 三世正十(宗貞)1601–1644

    正行の長男。初め九郎兵衛。室は神尾備前守元勝の女、後室は竹中丹後守重門の女。正保元年四月四日没。年四十四歳。下谷皇徳寺に葬り、のち法身寺へ改葬。

  • 四世政孝(宗舟)1626–1684

    正十の長男。初め政可、熊之助、三郎兵衛。貞享元年八月十九日没。年四十九歳。新宿区原町月海山法身寺の開基。

  • 五世政利(宗功)1629–1694

    正十の次男。初め三郎右衛門。政孝の養子となる。室は石丸石見守定次の女。元禄七年六月二十九日没。年六十六歳。

  • 六世政郷(宗安)1672–1724

    政利の長男。初め久太郎、玄蕃。室は稲垣淡路守重氏の女。享保九年九月十三日没。年四十九歳。

  • 七世政報(宗忠)1717–1733

    初め左門、実は本家筋政一の曾孫和泉守政峰(宗香)の次男。政郷の養子となる。享保十八年十月六日没。十七歳。

  • 八世政展(宗信)1722–1764

    初め政旧、金十郎、内匠、主税、実は和泉守政峰(宗香)の五男。政報の養子となる。室は遠藤但馬守胤親の女。従五位下、山城守に叙任。明和元年五月十日没。四十三歳。因みに断絶になった遠州家六代政方(宗友)は、和泉守政峰(宗香)の六男。政展の実弟に当たる。

  • 九世政弘(宗道)1746–1788

    政展の長男。初め貞五郎、内記。室は渡辺図書頭貞綱の女。従五位下、河内守に叙任。天明八年八月六日没。年四十三歳。

  • 十世政徳(宗勇)1767–1819

    政弘の長男。初め治左衛門、孝次郎、内記。室は本堂大和守親房の女。没してその七女を娶る。文政八年五月六日没。年五十九歳。

  • 政純(宗円)1799–1851

    政徳の長男。初め喜内。病身の為、文政五年七月総領を除く。嘉永四年四月四日没。年五十三歳。

  • 十一世政恒(宗仁)1813–1845

    政純の長男。初め鉄太郎。弘化三年七月二十二日没。年三十三歳。

  • 十二世政休(宗舟)1840–1901

    初め直次郎、左近、大学。政純の次男。政恒病死のより、その養子となる。家茂、慶喜両公に仕う。禄高三千石。知行所大和、備中、近江の三国。明治維新後、明治六年、徳川家の依頼を受け、荒衰せる上野東照宮の堂守を勤める。この年より、下谷練塀町に屋敷を構え、家元として立ち、一般に茶道を教授す。(明治維新までの屋敷は小石川御門内)明治二十六年、当流普及のため、関西へ赴く。二十八年、京都大徳寺孤篷庵において、遠州二百五十年祭を催す。三十四年八月三十一日、紫野大徳寺中孤篷庵において没す。年六十二歳、為楽庵大通。

  • 十三世政孝(宗博)1880–1922

    政休の次男(政休長男政直は夭折)。明治十三年東京に生まれる。明治三十四年、政休没するに及び、家元を継承し、京都にて茶道を教授す。大正十一年十月三十一日没。年四十三歳。深入庵大忍。孤篷庵に葬る。

  • 十四世進(宗忠)1886–1953

    政休の三男。明治十九年東京に生まれる。兄宗博没するに及び、家元を継ぐ。華道、盆石をよくし、高松宮妃殿下の師範たり。「大日本遠州会」創立。昭和二十八年九月十日没。年六十八歳。静楽庵大開。

  • 十五世文雄(宗通)1912–1999

    宗忠の長男。大正元年東京に生まれる。昭和二十八年、宗忠没するに及び家元を継承。後援会「松籟会」創立。昭和27年より機関紙『松籟』を発行。東京美術倶楽部東茶会、根津美術館茶友会、巧匠会茶会など多数懸釜。著書多数。法楽庵大円。

  • 十六世健作(宗圓)1945–

    文雄の長男。昭和二十一年、疎開先の栃木県で生まれる。日本大学文理学部国文学科卒業。十五世宗通逝去後、平成十一年、小堀遠州流家元を継承。柳営会(徳川家幕臣の親睦団体)主催の柳営茶会に於て、毎年懸釜。その他各地で茶会開催。為楽庵大慎。